Lost-Life





コンピュータ依存の高校生のひとりごと
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年が代わる意味とは
 今回も無事に年のバトンタッチが為されたわけですが、年ってなんで代わるんでしょうか。
 ちょっと考えれば、年の切り替わりなんて無意味なものだと思えるのですが、もっと考えると、年が代わることには文化的な重要な意味があることに気づきます。

 
 数時間前、2007年から2008年に年が代わり、それに伴って様々な行事が行われています。なんでもかんでも「今年初」をつけて、愛でたいとか有り難いとかお祭り騒ぎです。

 しかし、我々が2008年へのカウントダウンをし、新年を迎えた瞬間の重要性を感じて騒いでいるとき、殆どの国はまだ2007年の時間のなかを過ごしています。我々日本人だけが他の国の人々よりも先に2008年を迎え、嬉しくなっているのです。
 もともと、日本人が年が代わることの重要性を知ったのは太陰暦に従った周期のなかのはなしで、太陽暦に従っている我々と合わせると時期的に大きな差が生じます。

 新年の歓迎という儀式。これは、国の位置ごとに生じる時差、今と昔の暦の違いによる時差があり、統一性もなければ、伝統性も見いだせません。

 毎年まったく同じ時期に、それこそ一分の差も生じずに世界中が新年を迎えること、迎えたことを喜んだらとても感慨深く、お祝いしようという気分も湧くのですが、こんな現状があったら新年到来に有り難みを感じることが、俺は難しくなります。
 更に、こんな、ちょっとした思考回路があれば誰でもわかる問題とは別に、物理的に時間の流れを考える、相対性理論を前提とした時空論を考えのもとにする人は、誰かと同じ時間を共有するこは物理的にできないから時間を基準とした区切りに意味はないと考え、更に年越しという行事の有り難みを感じることが難しくなります。

 いったいなんで年越し、年明けに執着するのだろうか。年が代わる意味なんてあるのだろうかと考えてしまいます。

 しかし、それはただ理屈をあてはめて物事を見るつまらない人間の考えることであって、普通の人はそんなことは考えないし、考えても無視して生活するのが普通でしょう。
 しかし、無視するのは知的生命体である人間らしくありません(逆にそれが人間らしかったりするのですが)。ここでは新年到来を大切にする意味をしっかり考えてみます。

 人類は文明を築き、それぞれの文化を築いてきました。生命を維持するために直接は関係のないこれらは、ヒトという生物の精神を向上させてきました。その精神のなかに、リズムというものがあります。これが、新年到来を重んじる理由を簡単に表すものです。
 日本文化についてのみいうと、日本は古くから稲作を中心に生活のリズムを取っていました。春には豊作を祈願し、夏には天災が発生しないように祈り、秋冬は収穫を祝う。これらの生活態度の移り変わりによって、人々は統一性を持って生きてきたわけです。すると、必然的にそのサイクルの節目である年が代わる日は大事な日として認識されます。

 それだけです。

 世界的、天文学的、物理的視点で新年到来をみる必要はなく、単純に狭い世界観で伝統に従えばいい。他の国がなんだろうが、暦がなんだろうが、時空がなんだろうが、日本の時間で生きる人間はそれに従うことに意味があるのです・・・。



 時事ネタにしては書いてても面白くないし読んでても面白くないだろうというグータラ記事を即席で書きつつ、ケータイというインフラの大きさにちょっとがっかりした新年の始まりでした。

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