Lost-Life





コンピュータ依存の高校生のひとりごと
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
俺の考え方は古い? -コンピュータに詳しいことは恥ずかしいこと-
 先日、学校から帰宅してからニコニコ動画で、"演奏してみた","歌ってみた"タグの動画のストック(ケータイがついにFlvの再生に対応!)を補充するべく、演奏動画を漁っていたところ、"演奏してみた"のほうには新規の動画で煌めくものが見あたらず、仕方がないので"演奏してみた"では王道中の王道「一人で情熱大陸とかセッションしてみた」を久しぶりに見てた。
 「やっぱりスゴいなぁ。こんなにプレイレベルの高い演奏を色んな楽器で見せてくれるんだもん。タダモノじゃないよなぁ。」なんて思いながら見ていたのだが、「ギターの使用機材は何かな。やっぱりPODかな^^」と投稿者のコメント欄に目をやると

 テレビ出演します。11/27 BS 22:30~23:10

 こういうのっていつも(番組が)終わった後に気づくんだよなと思いながら、その日の日付を確認するとなんと番組放送日と同日、もしやと思って時計を見ると放送時間まであと3分。なにこの疾走感 笑

 ということで、BS11で放送された情報番組「ザ☆ネットスター!」を初めて見た。

 第一印象

 オープニングテーマ曲歌ってるの初音ミクって ^^;


 この番組は俺にとっては初見のタレント4名が、どこかで見たことのあるような"部室"のオープンセットのなかで、長机の席について最近のインターネット事情について紹介していく番組だった。
 これが単発番組なのか定期番組なのかは知らないけれど、出演者はみんなインターネット娯楽の世界にとても精通しているようで、俺でもわからないネタが沢山紹介され、それに対する個人的な生の意見が述べられていた。別段面白いとは思わなかったけど。

 まずは情熱大陸。
 最近、インターネット上で動画共有サイト(番組内では"動画投稿サイト"だった)が大人気だという話題から始まり、その中で情報大陸をひとりでセッションしている人の動画の再生数、人気ともに大きなものになっているということを紹介し、その動画の一部を放送、話題を膨らませたところで本人取材に移った。

 ってか演奏してるの高校生タメって・・・

 と、普通の番組レビューみたいになっちゃいそうだが、今回の本義はそんなもんじゃない。
 こういうテレビ放送で、平然とインターネット娯楽について扱うというのはいかがなものかと俺は思う。きっとマイノリティなんだろうけど。
 

 俺は現実とインターネットの世界(以下"仮想世界")は交じるべきではないと考えている。これが少々特異な考えなのは重々承知しているが、どうしてもそうとしか思えない。テレビ番組でニコニコ動画を扱い、その仮想世界の住人を現実で取材し、ニコニコ動画に対する考察をニコニコユーザーが普段感じていることを交えながら述べる。この行為に、なんとなく嫌な感じを覚えるのは俺だけなんだろうか。

 ふつうパソコンは、ひとりで使うものである。ディスプレイの前にいる貴方は大抵ひとりだろう。しかし、インターネットに接続するとそれは変わる。
 誰か人間が作った、或いは人間がが作ったソフトが作ったHTML文書をダウンロードし、ブラウザで開いてウェブページを楽しむ。
 誰かが用意したPOP3サーバー、誰かが作ったメーラーを使って電子メールを送受信し誰かと更新をする。
 誰かが作った会員制の動画共有サイトに登録するために、誰かが作ったスクリプトでメールアドレスを取得し、誰かが作ったスクリプトでログインし、誰かが作って編集してまた別の誰かが作ったスクリプトで投稿した動画を、誰かが発信したコメントと一緒に見て、誰かが作ったスクリプトでコメントを発信する。
 こんな複雑な人間の絡みが、簡単なクリックやキーボード操作で生まれる。
 ちょっとネットサーフィンするだけで、どれだけの見えない人間に頼っているかわかると思う。俺は、頼る人が見えないこの人間関係がなんとなく陰湿だと思うのだ。
 では、これはどうだろうか。
 誰かが作ったペンを使って、誰かが育てた木から、また別の誰かが製紙した紙を、また別の誰かが加工し、またまた別の誰かが出荷して(略)・・・誰かが販売したルーズリーフに、誰かが作った数学の問題を写す。
 これだって、関係している人間が見えないのだが、これはさっきのとは違う。
 ペンを作るということは、細かいことはわからないにしろ、筒状のパーツをいくつか作って組み立て、インクを入れて・・・と、作り方がなんとなくわかる、基底はどうあれ木をペン状に削って、形を作ることは可能だろう。
 しかし、インターネットを通じて関わる人間が作るものというのは、普通の人はイメージできない。ブラウザを形だけでいいから作れといわれても、まったく身動きできないのが普通の人である。仮想世界で生きる人の大半は、この普通の人だ。
 作り方をイメージできないものは、人が作ったものだと感覚的に意識できないのが人間であると俺は思う。
 PHPなどを使った電子掲示板で書き込まれる文字列が誰かとの繋がりなのは意識できても、その繋がりがいったいなんなのか理解できていない。インターネットがこういった"ひとりでないという錯覚を作り出す環境"になっていることが、俺の仮想世界に対する負の要素、仮想世界は陰湿だという考えを持つ大きな理由である。

 最近、現実そっちのけで仮想世界にのめり込む人が増えた。これはモバゲータウンやセカンドライフ、ミクシィにチャット、ネトゲー、ニコニコ動画などといった仮想世界を現実に近づけるコンテンツが増えたからだ。しかし、どれだけ大きな現実化が行われても、仮想は現実になることはできない。仮想世界は仮想世界、住みたい人が勝手に住んで、勝手に現実では起こらない独自の文化繁栄なりなんなりしていればいい。
 しかし、それを現実にもってくるのは果たしてどうなのだろうかと俺は思う。

 「昨日、モバゲーで面白いヤツと友達になったんだ」
 こういう発言を平然とするのが今の社会らしいが、俺はこれを「現実世界で友達できないけど、仮想世界なら友達できたよ」という意味にしかとれない。
 仮想世界と現実世界を分けているからには、双方は違うという認識が誰にでもあり、その違った世界に住む自分は同一のキャラクターである必要はない。違う世界で新しい人生を送れるとなった場合、普通の人なら本来の自分の欠点を補ったキャラクターをたてるだろう。少なくとも俺はそうする。完全にそうではないにしろ、現実世界で既存の自分のキャラクターがそのまま仮想世界の自分に反映されることはまず無理だ。人間の本質を仮想世界に表すことは不可能であり、必然的に仮想世界は本質を持った人間がいなくなる。本質のない世界、インターネットの住居は虚構の世界だと言わざるを得ない。
 ここまで言っても、まだ仮想世界を現実世界にもってくる、仮想世界そのものを話題にしたり、仮想世界の話題を現実世界ですることは陰湿だとは思えないのが今の社会、現在インターネットを支配しているケータイユーザーを主とするインターネットの世界に巣くう人たちなのだろうか。

 しかし、俺はこの二つの世界にハッキリとした境界線をひいて住み分けるべきだと考えているわけではない。現実世界は本質の世界として、インターネットの仮想世界は虚構の世界として、双方の利点などを考えて臨機応変に接するなんていうことは全く考えていない。
 電子メールは現実と現実を繋ぐシンプルかつ重要なツールだが、これは虚構の世界を通じてやりとりがなされる。我々最近の中高生は、ケータイで送信するメールで知り合いと連絡を取るのが普通になっている。
 「明日、臨時で時間割に体育が入るから体操着を持ってきてね」
 「数Ⅲの極限でさ、不定形にあたっちゃったんだけど崩し方がわかんなくてさ・・・。どうやるんだっけ。問5」
 この電子情報のやりとりのどこに虚構があるだろうか。虚構の世界を介していながら、このやりとりに陰湿なものはまったく感じられない。なぜなら、このやりとりには仮想世界の生活がまったく絡んでいないからだ。
 仮想世界に存在する住居、現実世界とは違う虚構の世界で生活する行動が伴っていない現実を繋ぐやりとりには、陰湿なものは何ら感じないのが俺の観点である。
 つまり、生活、人と人との間をつなぐ手段を、仮想世界に依存して行うべきではないということだ。ケータイが普及し、ネットを利用する人間が増えた。ユーザーが増えると、ユーザーの種類が増え、必然的に低思考の人間もその世界を使うことになる。ケータイという限定されたツールではいくら高い思考を持っていても、行動を制限されることになるため、ケータイに嫌気がさす。お陰で俺はケータイを卒業した。電話機能を持った情報端末は利用しているけど。

 話題がすり替わってしまったようにも思えるが、ケータイでもパソコンでも、俺が言いたいことは通る。
 情報端末を低思考をもって扱うことが常識となっている世界で、それに外れた深い扱いをすることは、別記事のオタクの話のように距離をおかれることになる。そして、日常では絶対に必要にならない知識を持っているハッカーは、自分の知識を披露する場面がない。しかし、こんな発言をしてみよう。

 「俺、親父の会社のLAN構築頼まれたんだけど、星型にするかツリー型にするかで悩んでねぇ」

 これで場の話題が広がることはまずないし、聞いている人もリアクションに困る。関心もしない。
 コンピュータの知識を現実にもってくることによる意味は、少なくとも一般的な高等学校にはない。無意味なのだ。表に出したところで、なににもならない。

 無意味ならまだしも、「コイツ、確かに家で寂しくネットやってそうだよなぁ」なんて思われれば(少なくとも俺は)最悪である。だから、俺は極力コンピュータの知識に(ごく一般の高校生に比べて)多少長けていることを現実世界ではアピールしないようにしている。

 俺が最も言いたいことはこれ。これ以外なんにもない。

 現実世界と仮想世界に仕切を設けろとは言わない。しかし、お互いの生活を接触させるべきではない。そう思う。
 インターネットは生活のツールである。現実世界における生活ツールである分には構わない。しかし、仮想世界の生活のすべてを司るツールで あってはいけない。そう思う。後者は後者で仮想世界の生活に徹すればいい。学校は学校、ブログはブログでありたい。


 俺はどこかで、インターネットというインフラが普及するのに嫌な感じを覚えているのかもしれない。自分しか知らないマイナーミュージシャンがメジャーデビューして世間に知られ渡るのと同じような感覚を感じているのかもしれない。そのインターネット、コンピュータというアーティストの話題が俄にされるとき、「そんなに浅いもんじゃないんだよ。もっと凄いんだよ」と心で苛々としているのかもしれない。


 仮想世界の生活が、現実世界の生活と同一である必要ではないという主張はよくわかる。しかし、ある程度の知性をもって生活してほしいと思う。程度の低い文化を現実にもってきてほしくない。程度の低さを目的として生活しているなら、高度世界にそれを持ち込まないでほしい。

 もう少し、ツールのことを知ってほしい。

スポンサーサイト
ComMent
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
SeCret: 管理者にだけ表示を許可
 
Track Back
この記事のトラックバックURL
http://lostonlife.blog118.fc2.com/tb.php/172-132fb1ee
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。